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ナチュクリじじいこと猪ノ口幹雄 プロフィール

●猪ノ口幹雄(イノグチミキオ)
石けん百貨(株)顧問 石鹸・洗剤問題研究家。
1991年「生活と科学社」創業、1999年会社設立、インターネット情報サイト「石鹸百科」で石鹸・アルカリ剤に関する情報を発信、店舗サイト「石けん百貨」を開設、国内外の優れた石けんやアルカリ剤などの販売を行う。
2000年セスキ炭酸ソーダを日本で初めて商品化・販売。出版物、講演、NHKあさイチなどメディア出演などでナチュラルクリーニングの普及を行う。

1943年6月中国遼寧省・奉天市(現・瀋陽)にて生まれる(父は満州鉄道の電気技士だった)。終戦後運良く日本に帰れましたが、中国残留孤児問題は他人事ではありません。
その後、大分県豊後高田市、東京、北海道小樽市(心のふるさと)、名古屋を経て大阪府茨木市に定住。会話は通常標準語、相手によって大阪弁、名古屋弁に変わります。
高校を卒業後、傾倒していた研究者を慕って大阪市立大学文学部2部に入学し、海外専門書籍輸入販売会社に勤務。

趣味は旅行、スキー、読書(乱読)、音楽鑑賞(クラシック、ロック、フォーク、世界各国の民謡、演歌と何でも、ベートーベンとボブディランが特に好きそして冗談音楽)
尊敬する人:チャップリン 卓越した先見性と芸術性
座右の銘:チャプリンの格言「人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。」

小学生の頃から、掃除・洗濯は私の仕事でした。父の遺伝だと思いますが、もともときれい好きだったのと、両親は仕事、姉が当時難病だった結核に罹り長い闘病生活中で、妹と弟がいた、という環境でしたのでごく当たり前にこなしていました。
電気洗濯機と合成洗剤が普及しだしたのは1950年台半ばからですから、私の小学生時代はたらいと洗濯板と固形石けんをこすりつけてゴシゴシやる洗濯でした。否応なしのナチュラルクリーニングを実践していたことになります。

結婚後しばらく新しく建った府営住宅に入居するまでの11月~翌年3月末までの寒い時期、洗濯機は新居で買おう、ということで、子供の頃の洗濯板と固形石けんの洗濯に戻りましたが、難なくこなせたのは昔取った杵柄だと思います。
結婚当初は特にこだわることもなく、市販の洗剤を使っていましたが、布おむつで育てていた長女のおむつかぶれに向き合うことになりました。 娘が生まれたのは高度経済成長(1965~1974年)の終わり頃で、経済発展の負の遺産として環境破壊が一挙に進み、このような状況を受けて、大気汚染や水質汚濁などの多くの公害対策に関する法律が整備され、対策が進められた日本が大きく変革する時期でした。 1980年、琵琶湖富栄養化防止条例が施行され、滋賀県の合成洗剤追放運動は、水質保全や環境問題に大きな問題を投げかけました。

なんとか娘のおむつかぶれを治してやりたい一心で肌に刺激のない洗剤や洗濯方法を探ることになり、それがナチュラルクリーニングのきっかけだったのですが、それからかれこれほぼ50年になります。もっとも当時はナチュラルクリーニングという言葉もなかったのですが。
当時は石けんや洗浄剤としてのアルカリ、酸に関する情報はほとんどなく自己流でしたから、洗濯物が真っ黄色になったり黒ずんだり、試行錯誤の繰り返しでした。しかし、娘の肌がきれいになったことで、迷うことなく今日まで続けてきました。
結婚してからの約50年、洗濯、皿洗いは毎日のこと、日曜の午後は家中の掃除をしています。日曜の午後は妻が焼くパンが焼きあがる時間でもあり、それを狙ってよく遊びに来ていた孫に「ばあばはパンを焼くのが大好きで、じいじはお掃除ね」と言われたことがあります。趣味のパンと家事の掃除が同等に語られた事に面食らった記憶がありますが、彼らにとっては祖父のそれが日常の風景だったのでしょう。

生態系にやさしく、世界に通用する洗濯用洗剤の開発に執念を燃やしています。

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